2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧
ただ「美しい」で済むだけのことを 天使だのオーラだのへったくれのと真面目に言うような輩にはかかわるまい、 と思っていたけど。 時々、ちょっといじわるそうに「ニカッ」と笑う彼女だけは別なのだ。
「おっとこらしーーっ!」と思わず言ってしまう相手はいつも女性だ。 男の人がすばらしく男らしかったら、 無言でじーんとするしかない。
庭木や草花、荒地や畑の脇の雑草、 ひとつひとつ、どれも異なる形の葉っぱ。 その多様性にくらくらする。
タイムマシンが実現するのも、 どこでもドアも、楽しいと思うけど、 どらエもんはいらない。
植物や、物質でさえ、ケアすれば話しかけてくるもの。 でも、IT機器に感情移入するのはどうも気持ちが悪い。
母は幼い娘の小さな頭に花の冠を乗せた。 それはいつしか茨の冠となって少女を苦しめる。 彼女がその呪いに気付いた時、棘は抜け落ち、 いつしか月桂樹の冠を頂に得る。
ある種の繊細な女は直感的に私を嫌う。 ニコニコしながら私を嫌う。 地雷だらけのその隙間を縫って、 いつか突破します。 私はあなたが好きなんです。
ひたむきであること、 同時に俯瞰できること。
毒舌という「人の悪口」も極めれば芸と認められる。 ただし、おじさんかゲイでないと許されないことになっているらしいな。
「なんであんなにパワーあるんだろう?」 そんな人がたまにいる。 「私らとは違うんだな。」 いや、そんなこたない。 私もなれる。絶対に。 まだできないけど、なる。絶対に。
同世代の「大人になりたくない」も不愉快だったけど、 もはや「幼児のままでいたい」という不気味。 じゃなきゃ爪にショートケーキやクッキーは付けられないだろ・・・・?
いい年こいてまたさら自分の未熟に気付くと落ち込む。 でも、気付くことで、結果楽になるのだ。
今なら写真は「撮られる」で「映る」。 昔の日本人の感覚はきっと「取られる」で「移る」。 そりゃ、怖いよな。
田舎では話に尾ひれどころが乳首までつきます。 (ちょっと拝借しました→川田十夢様)
give and takeという言葉に冷たさを感じてしまうのは 私たちはgiven and give and given and give......という円環のなかで生きているからだ。 良くも悪くも。
遠い昔から知っている何かを 確かめるために生きている。
何故か一人ぼっちだと感じるのは ここが鏡の国だからだ。 呪いの鏡を見つけるのは女の子、 それを壊すのは男の子。 ほんとうのあなたに出会うために。
私はでっかいでっかいマイムマイムが踊りたいだけです。 二人、誰かとずっと手をつないで、 大きな輪になって広い世界、 小さな輪に縮んだらみんなの顔が見える、 変な呪文を大声で歌いながら。 http://www.geocities.jp/momoiro_no_kirin_weblog/index.html
きみが頭の中に飼っているのは 虎馬ですか?それともただの馬鹿ですか?
11歳から29歳までの引き出しならいつでも開けることができる。 そこから先は0から始まるランダムな加減乗除で無限になる。
娘を自分の夢の形代として流す母性が、 母性の無い母を育み、娘をそのまま流して捨てるのか?
24歳の一人っ子の娘がいるとある家庭。 そこに泊めてもらった翌朝、当たり前のように家族3人が一緒に適当にしゃべりながら朝食。 すごくびっくりした、今時こんな。。。。。 あとからもう一度寝ようがなんでもいいから休日の朝の強制なのだそうだが。凄い…
私が少女時代にイライラしていたのは、 あの時代にいいことを言う女はみんなブスで、 美人はみんなバカだったからだ。 そう見えたからだ。
人生はそれぞれだけど、 子供の頃やなやつだったとか、いいやつだったとか、 そこはどの道を歩んでいようが絶対変わらない何か。
私の母は1男8女。 私たちは核家族の背景に大家族あって育った。 そして、いとこ一人一人の子供時代の伝説が語り継がれている。
変わろうとしなくていい。 ただ、気付き続けることだ。 いつだって。
それなりに人に迷惑かけとかないと いざって時にちゃんと謝れない失礼なやつになっちゃうよ。