深呼吸する言葉
危機を乗り切る絆よりむしろ孤独を可能にさせてくれる平和と安全を望むのである。
嫉妬から嫌がらせ行為に及ぶバカは何のために存在するのか考えてみた。バカにはバカの存在意義があると主張するためかな。無視すると攻撃力を増す。「あなたの存在を脅威に感じます」と態度で示すのが礼儀といったところか。
センスを重視するのはカッコつけたいわけじゃない、言外の説得力がほしいから。
もうほんとうに、どれが男でどれが女でどれがオカマなのかさえわからない。わかる必要もない。それが平和と豊かさが続いた証で、ここからしか始まらないものがもう既に始まっているんだけどな。
がんばったらできるようなことならやらなくていい。
かろうじて70年も平和が続いたら今度は逆に不安になるのらしい。このままだとぶつかるかも、このままだと本当にぶつかるかも、あ、ぶつかっちゃった! 付き合ってられっか。
食物の腐敗を見分けるために微妙な色彩を見分けた原始の女の血が私の中にも生きている。
はみ出たところが、おいしい。
切実な希望はあっても切実な欲望なんて無いって気づいて下さいよいいかげん。
コメより霞が主食だから、現実の方は適当にやり過ごす器用さだけが欲しい。
依存を悪者にするなよ。分散してればいいだけじゃん。
生産性と効率に価値を置く世の中に不適応を起こした者が(腹いせに)非生産性と非効率の象徴としての子供や老人を虐待する。
愛とか、恋とか、信じてないけど、ただ信頼してる。
「(私の側に非はありませんがあなたが勝手に)不愉快に思われたのならすみませんでした。」という謝罪してない謝罪用定型文がまかり通るインターネットの非常識。
黙ってようと思ってたけどなんかもういいや。私は「震災を機会に価値観が変わった」という人は信用ならないってずっと思っている。
50歳も過ぎて残った選択肢なんて既にもう全部が正解じゃんね。
思考は思考に過ぎない。決断するのは身体だ。
立ち向かうでもなく、逃げるでもなく、我慢でもなく、ただほうっておくのが早いとか、そんなの聞いてない(ほんとに?)(聞いてたってわかるわけないじゃんか・・・)
わたしが復活したら4月に雪が降っちゃったよ!まあいい、天の祝福と受け止めておこう。わたしは3月半ばの大雪の日に生まれたのだ。
こんな春の日の小雨くらいが今はちょうどいいな。そう思った。
因果応報、実によく出来ている、ありがたい、 なーんて私はやっぱり言わない、言えやしない。 ふざけんな!って言うよ。 それでいい。
安倍さんとかが乗る予定のノアの箱舟の行き先ってどこなんだろうね?
相手を気遣ってるつもりがただ自分を守ってるだけだから、なんだか曖昧になって、だから伝わらない。
男の子は「女の子にモテたい」とかって頑張ったりもする。女の子は頑張れば頑張るほどモテなくなるって知ってるけど頑張ったりする。
「明日に住み着いている幻覚の名前は”希望”というアレです」と彼は歌った。「希望を持てという言葉ほど人を傷つけるものは無い」と私が言った。ある人が言った「そう、希望なんて妄想だよ。だからって別に絶望して生きるこた無いんだよ。」
「お金はいくらあっても困らない」のか。だからお金のストーカーみたいになっちゃう人が多発するわけか。
食べることと眠ることだけはできたから、私が毎日真剣に考えていたのは「今日何が食べたいのか」それだけ。例えポテトチップスとチョコレートだけの日が何日続こうとも。
きれいなものが好きだけど、所有することが最終目的ではなくて、知りたい、関わりたい、感じたい、可能ならば作りたい。
大人になりたくないと思ったことは一度もないが、大人ごっこの輪の中に入りたくはないのだ。