2013-01-01から1年間の記事一覧
必要最低限のことが出来る限りのことと完全一致する。それを情けないと言うのか、有意義と言うのか。
自分史上最弱、なんもできやしない自分でさえ、なかなかすごいもんじゃないか、ってちょっとは思う。
喜びという報酬のために行動するだけなら動物にさせる曲芸と同じ。
存在の根拠が無いものほど存在を主張してくる。
ありのままが見えた時に「わかった」って言う。
苦痛を育てると恐怖になる。恐怖は行動を制限する。
何もかもうまくいかなかった日も、わりとうまくいった日も、価値は同じ。
苦しみを無くしたり減らすことはできなくても、無力化することはできるのらしい。
下手な考え休むに似てない。休めないし。むしろ疲れるし。
我思う時我無い。たいてい今ここ以外のどっかに行っちゃってる。
「もうやだ、止めたいっ!」なんて言う時ほどひたむきに努力してる。 本当に止めたい時はカッコつけてこっそり止める。
がんばらないとできないのだと思ってた。もう、できなくてもいいやって思った。そしたら、なんとできてしまった。がんばらなくてもできることは、今までだっていらでもあったこと、ずっと忘れてた。でも、それに気付くために、もの凄く、がんばったんだよ。
価値判断するから苦しむって結論つけたのが半年前のこと。でも、無理だよなそんなのとしか。価値判断しないための訓練法が古代からあったなんて。
きれいごとしか通用しないことだってある。
もう一度言う。夜の闇に星を見出そうとするのに、明けない夜はないなんて誰かが言う。
つまり、「体感を基軸とした受容的な客観視か」と。受容しなければ手放せないというからくりには相変わらずムカツクけど、「なるほど上手く出来てる」ってとこに落ち着くんだろう、どうせ、ね。
夢のなかでこれが夢だと気付くことが出来て、帰る現実などどこにもないのだとしたら、虚しいどころか、鮮明な夢をみることができるだろうと思う。
雨の日は雨の音を聞く。様々な音が聞こえてくる。思いが浮かんでは消えていく。陰鬱な気分は、消えはしないけど、やがて全てを支配することを止める。
「我執を捨てる」なんて言うとやっちゃいかんことがいっぱいありそうで「やーなこった」ってなるけど、要は、自分で自分を笑えることかな、一瞬にして。
どんな状況でも、ものは考え様、気の持ち方ひとつ。人に言われるとムカツクことだから自分だけにそっと言っておく。
過剰な感受性を持て余す。 金の使い方がわかっちゃない成金の金持ちみてえだな。
諸行無常、ま、それだけのことだったのに、「我思う故に我あり」って言われてブルって病んじゃったまんまの日本人。
理性と意志が全てだと思ってる奴らは 本能むき出しのバカよりずっと始末が悪いよな。
麻痺したら治らない。 痛みがあるなら治る。 だから大丈夫。 痛いけどな!
時間を無駄にするのが怖くて自分を無駄にしてたりして。
「普通こんなふうに考えるんだろうな。」って、 そういうのと気が合った試しがないんだ。 もういらないや、これ。
暗闇に差し込む一筋の光。走って求めるのはやめよう。歩いて行こう。
大流行すると学校の先生が困るような流行語のほうが好きだな。
理論はおもしろい。それを武装に使うと台無し。
完璧は頭の中に、完全は心の中に、還す。