いっちゃんのはなし

一時間の散歩が日課になった。
コースをぐるっと回る帰り道、小さな住宅街を抜ける。
ペパーミントグリーンの壁の家のガレージに
今日も濃い緑色の軽自動車が止まっている。


いっちゃんは今日も家にいるのかな
まだ寝てるかな
なにしてるかな
元気でいるといいんだけどな


いっちゃんは統合失調症で、わりと重度なんじゃないかと思う。
入院レベルだけど、精神病って入院して治るってものでもないから、
経済的な事情で入院しない人も多い。



いっちゃんはでかい、縦にも横にも、それから顔も。
40歳くらいだったかな、頭はM型に禿げている、頭上も薄い。
前かがみに早足で歩く。
やさしい怪獣のような顔をしてる。
川谷卓三と木村祐一を足して2で割ったような、
にきびの痕が目立つ色白の顔。
いつもアメカジ風のTシャツとか着てて、それがよく似合ってる。
ラジオ体操の時は私は必ずいっちゃんがみえる後ろのほうにいる。
もう、ものすごく一所懸命な動きがたまらなくおかしくってかわいい。
前にかがむといつもズボンが下がって半ケツ見えてるし、
本人必死でそんなの気付いてないし・・・・笑


なんとなく異様な風貌で、知らない人は怖いと思うかもしれない。
不審者に見えるかもしれない。
でも、みんないっちゃんが大好きだ。


いつも頭を抱えている。
暗い顔をしている、今にも死にそうだ。
でも、話しかけるととても嬉しそうに笑う。よくしゃべる。
いっちゃんは音楽なら何でも好きで、
へヴィーメタルからモーニング娘まで、なんでも聴く。
いっちゃんはやさしいから
好きな音楽に優劣をつけられない。
ある日、
「昨日のミュージックステーション見ました?」
と聞かれ、
「好きなアーティストが出るときは見るけど、そうじゃないときはつまんないから見ないんだよ」
って言ったら、悲しそうな顔をされてしまった。
「なんか、なんか、そういうのって、なんか、固い、ですね」
って言ってた。
いっちゃんはやわらかいよ、なんでもね。


たまーにデイケアにやってきて、
ひととおりみんながいっちゃんをいじるのが終わると
他の部屋でギターを弾いている。
弾き語りのときもある。意味はよくわからない。
そして昼食を終えると、
「すいません、すいません、ぼく、帰ります」
って帰ってゆく。
限界なんだ。疲れちゃうんだ。


幻聴があるらしく、たまにとんでもないことを相談(?)してくる。
「テレビがぼくに向かって、”おまえは犬だ!”って何度も言うんで困ってるんですよ」
ここで引くような私ではない。
もちろん、それ幻聴だよ、なんて言わない。
素人なりにいっちゃんの気持ちになって考える。
「犬かあ、いっちゃんって犬みたいかなあ?そうかもしれないなあ。いっちゃんはやさしいから人に何かいわれるとすぐやってあげるでしょ?だから、言うことをよくきく犬みたいな奴だなー、って、テレビは思ってるのかもしれないなあ、わかんないけどね」
「ああ、そうですかね、そうかもしれませんね、きっとそうですね、ありがとうございます、ほんとに、ありがとうございます」
そう答えるけど、
次の日には全く忘れている。
「テレビがぼくに向かって、”おまえは犬だ!”って何度も言うんで困ってるんですよ」
ってまた聞かれる。
何度でも答えてあげるよ。


でも、もっともっと深刻なときだってあって、
「いっちゃん、カウンセリング受けてそういうの全部話しなよ。」
っていうけど、一回5000円、それをしてくれる両親じゃないんだ。


重度の精神病者は、身内からはもう治らないからと見放されている。
病棟では入院患者に面会に来る身内なんて誰もいない。
親兄弟から見捨てられ、生活保護で入院して、退院することなく歳をとって、寝たきりになって、死ぬ。
それが当たり前にまかり通ってしまう。
精神科の看護士さんの主な仕事は寝たきりの人のおむつ交換、食事介助。
「なんでも相談してね」ってみんな言うけど、
彼女たちに患者の相談聞いてる暇なんて無いよ。


入院病棟を終の棲家と開き直ってしまった人のなかには、
本当に根性が腐りきった嫌なババアがいっぱいいいる。
こんな奴に生活保護なんて税金の無駄・・・・って感じることもある。
なりたくてやな奴になったわけじゃないのかもしれないけどね。
でも、
いっちゃんみたいな人のことを思えばなあ・・・・・・もっとなんとかならないものか。


いっちゃんはバイトの面接で必ず落とされる。
そりゃそうだろうよなあ・・・・・・


今日は雨になるかな?
昼ごろまだ降ってなければ今日も散歩に行く。
そして、あのガレージに緑色の車が止まってなければいいな。
せめて苦しんでいないといいな。



♪きみが救われないんなら 世界中救われないよ
 HAPPY GO LUCK  HAPPY GO LUCKY